シングルマザーにとって「パパ」という言葉は、とてつもない破壊力を持つ。

またまた愚痴です。最近めっきり寒くなって、なぜか色々と考え込んでしまう日々を送っているせんりです。

 

離婚しても息子の父親は元夫。親子関係は永遠に変わらない。息子にとっては、ずっとパパ。それはいいんだけれど、問題はこの「パパ」にせんり自身がどう向き合うか。

 

シングルマザーにとって「パパ」という言葉は、とてつもない破壊力を持つ。

 

息子が「パパ」という言葉を発すると、せんりの背筋はぴんと伸び、強ばった笑顔で応対する。これ、パパ!とユニクロのチラシにのった男性モデルを指さす息子に、ん?あっ・・・そうね、パパみたいだね、ウン。あ、パパだ!と病院で向かいのベンチに座る男性患者を指さす息子に、アハハ、パパに似てるね、ホント。ぼくのパパは?と無邪気に尋ねる息子に、ん?パパ?パパはお仕事だよ・・・答えている時のせんりの目は泳いでいるに違いない。

 

別居して一年近く経つけれど、息子が「パパ」と言ったのは、覚えている限り5回だけ。ぼくのパパは?が3回続いた。それでも1年という時間を考えると、驚くほど少ない。そもそもさほど存在感のないパパだったのか、ママを気遣って「パパ」と言わないのかは分からない。単身赴任で一緒に過ごしていなかった時期もあるから、できれば前者であって欲しい。そう思うママは非情か。

 

保育園に通っているから、息子から「パパ」という言葉を排除することは出来ない。それに実際、そんなことしたら傲慢だ。でも別居したての頃は、パパを思い出して泣いたら辛い、会いたいと言われたらどうしようと思って、息子に「パパ」という言葉を聞かせまいとしていた。息子がパパに会いたいと泣くことは現実には起こらなかったけれど、その日がいつか来るのではと怯えていた。ぼくからパパを奪ったのかと息子から言外に非難される日が来るのでは、と。父親にパパと呼びかける親戚の男の子からも、もうすぐ父の日という頃の保育園からも、息子を遠ざけておきたかった。思い出させたくなかった。

 

でも保育園には「パパ」が日常にあって、息子も毎日「パパ」に接している。息子は幼子故の適応力か、何かしら疑問には思っているのか、それでもじぃじとばぁば、ママとぼく、という今の環境に馴染んでいる。その一方で、自分にパパがいないとは思っていない。パパは「たまに会いに来る人」として理解しているように見える。それが自分にとっての日常であるように。

 

面会の時に、今からパパと遊ぶよと伝えると、息子は嬉しそうにパパ!と言う。面会が終わり、楽しかったね、またパパと遊ぼうねと言うと、うん!パパと楽しかった!とその日一日喜んで、一晩寝ると次の面会まで「パパ」は登場しない。たまにユニクロや病院でふとパパを思い出す。本当にパパを想って言っているのか、「パパ」という言葉が出てきただけなのかは分からない。後者であって欲しい。

 

一年近く経っても、まだ「パパ」という言葉に敏感に反応してしまう。何気ない振りをしていても、せんりの心は激しく揺れ動く。揺れ動いていながらも、もう片方で冷静な自分もいる。ああ、今、動揺しているな、パパって覚えているのかな、昨日誰かのパパがお迎えに来たのかな・・・そしてせんりは強ばった笑顔で、パパはお仕事だよと答える。どう答えれば正解なのか、せんりには見当もつかない。ただ、単身赴任中、パパはお仕事だよと言っていたのと同じように、嘘はついていないよなと思いながら、パパはお仕事だよと機械的に言う。

 

息子が大きくなれば、ストレートに聞いてくるかもしれない。独りで悩んでしまうかも知れない。そんな時に、ママはこういう理由でパパと離れて暮らすようになったんだと自信を持って説明できるようになりたい。息子に正面から向き合って、息子に恥じない生き方をしたい。ママは独りで頑張ってぼくを育ててくれたんだと思ってもらえるようなママでありたい。

 

今朝、雪で白く染まった道を手をつないで保育園まで歩いているときに、息子から聞かされた5回目の「パパ」。その「パパ」に動揺し、落ち込み、将来を考え、よし頑張ろうと思ったらもう22時を過ぎていた。「パパ」とはなんて破壊力を持つ言葉か。